電気通信大学声優文化研究会のブログ

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声優文化研究記事 「アサルトリリィ BOUQUET所感」

  1. ※注意

    この記事はアニメ「アサルトリリィBOUQUET」に対する批判的な意見及び個人的解釈、感想、ネタバレが多く載っています。それらを見たくない方は他の方の記事を読んでいただければ幸いです。

     

    1. 自己紹介

    あまり需要もないと思うため手短に。

    ほーむぱい(@homepie1001)というものです。最近は舞台に多く行っているぼっちイベンターで、誰も知らないコンテンツに手を出すことに定評があります。最近だとブシロードの新しいメディアミックスコンテンツである「舞台ROAD59」を見に行きました。誰か柊姉妹とかイリーナの話しませんか??

    アサルトリリィに関しては小説2巻とブシロード版舞台2作、ルド女版舞台2作(白きレジスタンス編のみ)を履修しているため、その程度の知識ということをご了承ください。

     

    1. そもそもの話

    この記事を読まれる方は何らかのアサルトリリィ関連作品を見た人だと思うのですが、皆さんは何を初めに見たでしょうか?
     私は舞台の方を先に見ているので、アニメが初めてという人とは違った感想などを持っているかもしれませんがご了承ください。

     率直に、皆さんは「アサルトリリィBOUQUET」というアニメをどう思いましたか?

    面白かった、よくわからなかった、つまらなかった。色々な意見があると思いますが、私個人の意見としては「なんだこれ」という感想です。決してつまらなかったわけではない、しかし最高のアニメかと言われるとそうとは言えない。この記事は主に「アサルトリリィ BOUQUET」に感じたモヤモヤした要素などについてお気持ち表明している記事です。

    何度も注意しますが「アサルトリリィ BOUQUET」は最高のアニメだ!ふざけるな!と思う方は他の記事を見ることを強く薦めます。

    1. 個人的に思う舞台とアニメの違い

    「アサルトリリィ BOUQUET」は2019年に始動したメディアミックスプロジェクト「アサルトリリィプロジェクト」の一つとして放送が開始されました。他のコンテンツとしては2021年1月にリリース予定のアプリゲーム「アサルトリリィ Last Bullet」。そして、2020年1月、9月に行われたブシロード版舞台の公演などがあります。

    この他にも2015年のノベライズ化、2016年以降の私立ルドビコ女学院とコラボして行われた舞台(ルド女版舞台)などがありますが、「アサルトリリィプロジェクト」としてではないため、この記事では主にブシロード版舞台との比較をメインに行います。

    アニメと舞台の違いを一言で表すなら「”何”で描くかの違い」だと思っています。

    殺陣をメインに戦闘の中でのキャラクターの成長、絆を描く舞台に対して、日常パート、非戦闘シーンで、それを描こうとしたのがアニメだと解釈しています。どちらが好きかと問われれば圧倒的に舞台の方が好きなのですが、だからといってアニメがダメというわけでは全くないです。正直、最初の方は舞台の方が面白いわぁって思っていたのですが、舞台は舞台、アニメはアニメでその内容が全く同じでない以上どっちが面白いとかではないと後々気づきました。

    いきなり話は飛びますが、「アサルトリリィ BOUQUET」の公式サイトにあるイントロダクションを引用します。

      近未来の地球ー人類は「ヒュージ」と呼ばれる謎の生命体の出現で破滅の危機に瀕していた。

    全世界が対ヒュージという一事に団結し、科学と魔法の力<マギ>を結集した決戦兵器「CHARM(チャーム)」の開発に成功、

    その使用者となる少女たち「リリィ」を養成する機関「ガーデン」を各地に設立した。

    ガーデンの中でも名門と名高い百合ヶ丘女学院に

    補欠ながらも合格を果たした一柳梨璃は、

    人類存続のために戦うリリィとしての一歩を踏み出す。

    かつて、自身の窮地を救ってくれた白井夢結を追ってこの学園を受験した梨璃は

    登校初日に邂逅を果たすも、以前の夢結とはどこか違っていて……

    このイントロダクションを読んでどう思ったでしょうか。

    何も知らない状態で読むと、物騒な世界だなとか、過酷な戦いをしてそうと「重め」な話を想像するかと思います。

    しかし蓋を開けてみれば、お風呂、太もも、いちゃいちゃ、いちゃいちゃ…

    そういった要素が悪いというわけではなく、どんどんやってくれって感じなんですけど、このイントロダクションと合わせて考えて見るとどうでしょうか。何かチグハグしているような気がしないでしょうか。破滅の危機に瀕している人類、人類存続のために戦うリリィ……アニメの雰囲気と世界観がミスマッチしていると個人的には感じました。そんな世界だからこそ明るい雰囲気なのが良いと感じる人もいるかもしれませんが、そこが大きな違和感でした。いわゆる「萌え」の要素は多くても構わないのですが、アサルトリリィには萌えには合わない設定が多かったのかなと思っています。姉妹の契りを結んだ相手を刺したとか。個人的には「がっこうぐらし」、「まどマギ」のような可愛らしさとダークな世界観の融合が見たかったです。制作シャフトですし…

     一方舞台はというと結構重い話であり、ヒュージとの終わりの見えないような戦いを通して、成長し、仲間との絆を深めていくというイントロダクションから想像したような話であり、かといってギャグ的な要素も入っており、明るい要素もあるという感じでした。

    私が舞台の方がとても好きなのでめちゃくちゃ贔屓して書いている部分も多いと思いますが、大きな違いとして、舞台の方がより世界観に合っており、アニメは少し合っていないのかなという印象です。そういう意味で「なんだこれ」と思ったというわけです。

     

    1. 3の倍数話ヤバいの法則

    「アサルトリリィ BOUQUET」は全12話なのですが個人的に「3の倍数の話はヤバい」という説が私の中であります。3話ごとに話をまとめることができ、その一連のまとまった話の最後の話がヤバいと個人的に思っているのですが、個人的に9話>>>>>3話>>>12話>6話って感じです。

    何がヤバいと思ったのか解説していきます。これから「ヤバい」という単語が軽率にたくさん出てきますが、「それを1話でやるのか」や「もうその話終わるのか」って感じの意味で捉えていただければ幸いです。

    1. 3

    とてもざっくりとしたあらすじ(主に後半パート):夢結の封印していたスキル「ルナティク・トランサー」が発動し、暴走状態に陥るが、梨璃の助けもあって乗り越え、梨璃と協力してヒュージを倒す。

     

    この内容は、ブシロード版舞台1作目、そして原作にあたる小説1巻が全編を通して取り扱った大きな問題ですが、これを後半パート15分程度で片付けるという離れ業を行っています。

    アニメでアサルトリリィを知った人からすると「話の展開が早すぎる」だったり、「よくわからない」といった感想を持った人も多いのではないでしょうか。舞台を見た人からするとその内容を3話の後半パートだけでやるのかという驚きがあったと思います。

    個人的に「アサルトリリィ BOUQUET」は1クールを通して、一柳隊結成まで(夢結が乗り越えるまで)を描き、てっきりこの辺りの内容は最終話にやると思っていたので、何が何だかわからない状態になりました。

    夢結が暴走したシーンでその話が終わり、視聴者を煽るということもなく、後半パートに起こった問題がその話のうちに解決するというよく言えばサクサク話が進む、悪く言えば、あっさり、物足りないといった感じでしょうか。

    個人的にはせめて2話ぐらい使ってもっと丁寧に描いて欲しかったなという感じです。

     

    1. 6

     とてもざっくりとしたあらすじ:結成したばかりの一柳隊はとあるヒュージを相手に戦う。そのヒュージにはかつて夢結が使っており、甲州撤退戦の時に自身のシュッツエンゲルとともに無くしたダインスレイフが刺さっていた。再び暴走状態に陥るが、仲間と協力しヒュージを倒し、ダインスレイフを取り返す。

     

     3話と同様にやや内容が詰め込まれている感はありますが、3話ほどのわかりにくさはないと思います。この話の何がヤバいと思ったのかというと5話の終わりに伏線のように映ったダインスレイフを見て「6話以降の話はダインスレイフを取り返す話なのか」と思っていたら1話にして取り返すという…

    「お前の予想が外れただけだろ」と言われればそれまでなのですが、小説も舞台も描いていないところに到達してこれからどうなるの?と思いました。舞台アサルトリリィの2大問題であった夢結のルナティック・トランサー問題(舞台1作目)、ダインスレイフ取り返し問題(舞台2作目)をわずか話の半分で解決し、最終的な物語の終着点はヒュージ根絶で世界平和しかないのではと冗談で思っていました。(これは当たらずとも遠からずなのですが…)

    他の話に比べれば全然やばくないですが、個人的にこれからどうなるのってなった意味で取り上げました。

     

    1. 9

    とてもざっくりとしたあらすじ:結梨がヒュージであることがわかり、追われる身となる。梨璃とともに逃亡したが、ヒュージではないということが判明し保護される。突然謎の超強力ヒュージが襲来、結梨は自分の身を犠牲にヒュージを倒す。

     

    わかりやすく例えると「ギルティクラウン」後半パートを1話にまとめた感じです。この話はアニメオリジナルの話であり、何か原作とかいうものがあるわけでもなく視聴者はこの内容をただただ受け入れることしかできなかったのではないでしょうか。ただでさえ内容を詰め込みがちなのに、たった1話でそこまで話をまとめるのかという衝撃を受けました。結梨がヒュージっぽいというのも、どこかで退場するのも予想はできたことですが、まさか1話の間に全部終わるとは…って感じです。

    とてつもない内容を1話に詰め込んでおり、6話の時と同じく、残り3話ぐらいなのにこれから一体どうなるんだろうと思った意味でも他の話と比べて格段に衝撃多岐な回でした。

    どうしてここまで1話で問題を片付けるのか、とても疑問です。

     

    1. 12

    とてもざっくりとしたあらすじ:ラスポスっぽいヒュージを百合ヶ丘のリリィの協力のもと倒す。元凶であるアルトラ級ヒュージは活動を停止しており、夢結と梨璃が唯一残ったCHARMであるダインスレイフを用いて何の問題が起きることもなく倒して、おしまい。

     

    最終話もまさかの2本立てでした。11話にラスボスっぽいヒュージが現れて終わっており、「夢結がダインスレイフを使ってSacred World流れながら戦うのか」とへらへらしていたら流れたのは舞台2作目の主題歌である「君の手を離さない」でありとても衝撃を受けたのですがが、前半パートでラスボスっぽいヒュージは倒されてしまい、「前半に畳みかけるな」というツッコミを思い出しました。

    後半パートでは全ての元凶っぽいアルトラ級ヒュージがいまなら倒せるチャンスということで、ダインスレイフでブスッと刺して倒して物語は終わりへと向う…

    「何だったんだろう」というのが率直な感想です。ギガント級ヒュージとは比べ物にならないほど強いと思っていたアルトラ級ヒュージが何の抵抗もなくあっさりと倒されてしまい、百由とミリアムがシュッツエンゲルの契りを結び、EDという全ての問題があっさりと解決して終わってしまったように感じました。6話の時に感じたのヒュージ根絶があながち間違いではなかったという…

    個人的には「一体何と戦っていたんだ」というのが大きな疑問でした。ラスボズっぽいのにエネルギーを供給していた真のラスボスは実質置物みたいなものであり、これで問題解決ってあっさりしすぎじゃないかと思いました。

    続編を作るにも、他の地域の問題に対処するしかないという感じですが、他の地域にはそこを守るガーデンがあり、百合ヶ丘だけの話はもう作れなさそう…。1クールで全てを終わらせてしまったと思いました。

     

    3の倍数話ヤバいの法則というのはつまり、特に1話に内容をまとめすぎた話や、今後の展開がわからなくなる話が3の倍数話に多かった、という風に感じました。

     

    1. 個人的に気になった点

    批判的な意見として、最後に個人的にもっと描いて欲しかったなぁとか気になった点を書きます。ここまでの記事を読んでもう批判はお腹いっぱいだと思う方もいるかもしれません。というか、この記事読んでいる人が存在するかどうかも怪しいですが、あくまで書きたいことを書くのでもう少しお付き合いいただければと思います。

     

     

    1. 王 雨嘉のストラップについて

    たぶんアサルトリリィ見た人のほとんどが、楓・J・ヌーベルだったり、ミリアム・ヒルデガルド・v・グロピウスだったり、神雨(しぇんゆー)だったりさまざまなキャラを好きになっていると思いますが、小説を読んでおらず、特に王 雨嘉を好きになった方にお伝えしたいのが、王 雨嘉の猫のストラップについてです。

    OPでもフォーカスが当てられており、4話のセリフに「ストラップを褒めてくれたから」というセリフがありますが「は?」と思った方が多いのではないでしょうか。詳しくは書きませんが、その辺りについては小説を読めばわかるので是非読んでください。小説はアニメと話はだいぶ違いますが、雨嘉視点で描かれているので雨嘉好きな方は御一読することを強く勧めます。

     

    1. 安藤 鶴紗について

     安藤 鶴紗というキャラクターがいますが、アニメでの印象として、物静かでクールな雰囲気、猫が好き、食べ物を食べている描写が多いといったものが挙げられると思います。また、自分が人体改造を受けたこともさらっと言っていますが実はめちゃくちゃ重い設定を引きずったキャラクターなのですが、アニメだとさらっと流されています。その辺の設定が知りたい方は舞台とか小説を見てください。

     

    1. 一旦の整理

     

    書いてきて正直とても疲れたので一旦まとめに入りますが、「アサルトリリィ BOUQUET」は面白い点も多くあった反面、モヤモヤする点も多々ありました。

    個人的には1話にまとめすぎている点」や「重要な設定もさらっと流されている点」、「世界観がチグハグしている点」が主なモヤモヤポイントかなと思いました。このような問題の結果、よくわからないまま終わってしまったのかなと思います。

    色々な意見があると思いますが、こんな風に思っている人もいるんだ、ぐらいに感じていただけると幸いです。

     

    1. 個人的に取り上げたい点

    ここまでの記事を読むととてつもなく批判している人で「アサルトリリィBOUQUET」嫌いな人に思われそうですが、そもそもの問題は私がとてつもなく過度な期待をしたせいで、ただただ私に問題があります。

    これからは個人的に思ったアニメならではの良い点を上げていこうと思います。

     

    • 一柳 結梨というキャラクター

    アニメオリジナルのキャラクターで、夢結と梨璃の名前から一文字ずつとって名付けれています。

    個人的にはこのキャラクターの存在が、アニメでの梨璃の成長に繋がったのかなと思っています。「個人的に思う舞台とアニメの違い」のところで、アニメは日常シーン、非戦闘シーンからキャラクターの成長などを描いたのではと書いていましたが、主にそれは結梨によるものなかなと解釈しています。

    結梨と梨璃はシュッツエンゲルのような関係にあったと思っています。記憶もなく、リリィなどに関しての知識、経験が梨璃よりも浅い結梨との交流を通して、梨璃はリリィとしてさらに成長していく…

    アニメ当初では一番未熟だった梨璃が夢結を導いていくことで成長しており、非戦闘シーンメインで成長を描いていたのかなと感じました。

     自身のシルト(夢結)を守るためにその身を犠牲にした川添 美鈴に対し、自身のシュッツエンゲルのような存在(梨璃)を守るためにその身を犠牲にした一柳 結梨という存在が対比されていたのかなと思います。

     

    結梨の登場した話数は決して多くはなかったですが、梨璃に特に大きな影響を与えたのかなと思います。

     

    • ミリアム・ヒルデガルド・v・グロピウスについて

    アニメのミリアムの印象としては、神琳と並ぶぐらいまともなキャラクターでした。語尾が「〜じゃ」であるということを除けば一柳隊の中でも常識があり、他のキャラクターに適度なツッコミを入れてくれるキャラクターだったのではないでしょうか。

     

    アニメを見た人からするとこういう性格の人と思うかもしれませんが、舞台では“あの”楓・J・ヌーベルがツッコミ役に回るレベルのキャラクターだったんです…

    具体的には妄想癖がひどく(誇張表現です)、しばしば自分の妄想がさも本当のことであるかのように話し、それを指摘されると「自分の頭の中の物語であって、妄想ではない」という謎のロジックを展開し、観客の笑いを誘うシーンが多々あります。話が重めな舞台ではこういったシーンはとてもありがたいのですが、アニメだとどうでしょうか。逆に、楓・J・ヌーベルのツッコミ役にまわっているシーンが多いように感じます。アニメのミリアムはとても頼りになるキャラで最終話のシュッツエンゲルの契りを結ぶシーンもとても微笑ましかったです。

    アニメ見て一番衝撃を受けたのはもしかしたらまともなミリアムだったかもしれません。

    彼女のぶっ飛んだ行動や言動が見たい方は、是非小説や舞台を見るのをお勧めします。

     

    • BOUQUET(ブーケ)

    皆さんは「ブーケ」という単語を聞いて何を連想するでしょうか。

    私が思い付いたのは結婚式で行う「ブーケトス」であり、花束を新婦?が投げて、それを掴んだ人が幸せになるみたいな感じだったと思います。この「ブーケトス」アサルトリリィの何かと似ていないでしょうか。

    「ノインヴェルト戦術」: 魔法球を仲間とパスしていき、敵に打ち込む。原則9人で行い、ギガント級ヒュージは原則この方法でないと倒せない。

    ということで、ノインヴェルト戦術に似ていると個人的には思いました。

    物語の中でも度々出てきますが、特に最終話では百合ヶ丘のリリィ全員によるノインヴェルト戦術がおこなわれており、人数が多くなればなるほど、魔法球は重く、制御が難しくなっていくらしく、CHARMを壊しながらも魔法球、そして思いをパス(トス)していくという「儚くも美しく舞う」という謳い文句の通りだなと思いました。個人的にはほとんどのCHARMが壊れて行ったのも戦いが終わる暗示や、儚さの象徴のように感じました。アニメだとリリィが倒される描写はあまりないですが、3話のCHARMが刺さりまくったヒュージのようにリリィの存在の儚さも表していたのかなと思います。

    また、ブーケは花“束”であり1本の花ではないということで、レギオンであったり、百合ヶ丘の生徒たちだったりを表していたのかなと思います。リリィはユリの花であり、リリィが集まってブーケになる、などなどタイトル一つをとっても色々考えられるアニメだな~と思います。

     

    1. まとめ

    「アサルトリリィ BOUQUET」は面白い点も気になる点も、その両方があり、それらが混ざり合って一つの花束となる作品であると感じました。花束の中の花を一つ抜き出して評価しても…という感じですが、個人的には書いていて気持ちの整理ができました。

     今後アニメ、また他の媒体がどのような展開になるかはわかりませんが、できる限り追っていこうと思いました。

     

    1. 最後に

    感情のままに支離滅裂な文章を書いたのですが、文章にするってとてもスッキリすることだと気づきました。何か日常生活などで思ったことがあった際には日記や、ブログとかに書くとすっきりするかもしれません。

     

    もしこの記事を最後まで読んだ方がいればとても嬉しい限りです。このような文章を読んでくださり、ありがとうございます。

    12/24の25:30 (12/25 1:30)ごろからこの記事を書き始めたのですが、一体私は何をやっていたんでしょうか。

     

    P.S. 誰か「舞台ROAD59」に出てくる女性キャラクターについての話しませんか?